2005年07月07日
オタク検定試験を受験する(その1)

社会的地位が認められたオタクってどうよ。
「正しく美しい知識」を身につけたオタク。まずオタクってどんな人を指すのか。近年いわれるオタクは「一般人には理解しがたい特定の領域・世界の知識を獲得していくことによって、自分の存在価値を認識し、自分のアイデンティティを確立していく人」平たく言えば、訳わかんないことばっか知ってて、それを知っていることに自己満足を感じる人ということ。うーん綺麗過ぎる。この定義のままだとオタクが学者や賢者でもおかしくない。
また最近「オタク」という言葉がメディアによって造りだされ、カテゴライズ化された「オタク」という集団に属し、それによって、堂々と社会に居場所を与えてもらい安心している輩がいる。病名が分かれば、気分が晴れるのと同様で、俺26歳で無類のアニメ好きなんだけど、どうも周りの人から気持ち悪がれているぞ。俺のしていることは社会悪なんだろうか。おっ、なんか俺みたいな人のことをオタクっていうらしい。俺以外にもいっぱいオタクの人がいるみたい。もう周りはどうでもいいや。俺はオタクなんだから。オタクとして生きるんだ。」と。
オタクとは地下活動家でなければならない。
「オタク」とは主観的意味の言葉なんだろうか?だってオタクには「キモい」とか「おかしい」という言葉がとてもよく似合うからだ。つまり「私はまだオタクじゃない。あの人たちほどひどくない、もてなくない、キモくない。」元来の「オタク」という言葉は相対的意味の言葉だったはずだ。上記のオタクの定義の中の一般人という中に自分を当てはめ、自分はオタクじゃない!という安心感を与えるはずのあまりにも人間的な悲しくもいみじい差別語だったのだ。オタクとは普通の人とアブナイ人との境界線を自分で引くための自己防衛の言葉だったのである。
ところが、最近メディアはこの「オタク」という言葉に市民権を与え始めた。あなたもオタク、私もオタク、人類皆オタク...少し考えてほしい。一般化され毒をぬかれたオタクという言葉にもはや意味はあるだろうか。検定試験などもってのほかである。もはやそんな言葉など力はもたない。逆説的だが、そんな資格を手に入れた「オタク」の人などもはやオタクではない。皆から蔑まれ疎まれ、その全く理解されない中でレジスタンスの様に地下活動にいそしむ人こそ真のオタクなのだから。
長い前置きはこのぐらいにして、つまるところオタク検定受験します。
明るいオタクという風潮を打ち破るためにも!
私よりオタク検定の点数が低い奴は、オタクの資格なし!!(前後の文脈あまりなし)
私の現在の実力は
「デスノートって何?」って真顔で聞いているぐらいのレベルです。
そんな偏差値20の私が受験します。
この企画は定期的に更新します。

